後藤 清典

代表取締役

 

久しぶりの現場作業。

8月初旬、連日の猛暑でバテバテ。


送電線下の伐採作業。



きっかけ

平成12年当時、僕は大阪在住。旅行会社で10年位働いた後、2歳になる息子の育児をしながら主夫(イクメンなんて言葉なかった)。息子が産まれてから真剣にUターンを考えるようになっていたころ、ネットサーフィン中、何気にたどり着いた富山県で林業してる人のホームページに「田舎やし生活費かからん、早く帰れる、冬は休み」……って、林業、めっちゃええやん!冬は海外でプチ移住や!

 

数ヵ月後、所要で帰省中に石川県林業労働力確保支援センターで某森林組合・民間数社の紹介を受けこちらの会社に。最初は電話で断られたけど、当時の社長に頼みこんで11月中旬から職場体験(今でいうインターン)実は10月に作業員が1人辞めて、1人病欠で来なくなったので人出不足やったみたい。(後日談)


初日

初日は会社近くにある重要文化財の雪囲、僕は専ら資材を運び、他の作業員の手元(手伝い)。「ナリ持って来い!」「タルキ持って来い!」…ナリって何?丸太のことか。タルキも知らんかった。

 

そして一服の時、親方らしきじいちゃんから「あんちゃん、涼しいとこでエンペツ持っとった奴ができるほど甘くないぞ!今の仕事(雪囲)はからだ休めみたいなもんや」…エンペツって!(笑)。別のじいちゃんからは「2回、夏を乗り切ったら何とかなるぞ!」って言われ、(…その言葉の意味は、後からわかる事になる。林業で一番辛い季節が…夏。親方らしきじいちゃんとはそれから引退するまでコンビを組むことになり、じいちゃんを見て学んだ。)

 

こうして初日は叱咤激励?され、心地のいい筋肉痛をおぼえ終わりました。


初めての林業

1週間位で雪囲が終わり、さぁ!山(横谷県有林)での枝打ち作業、林道から人が歩けるほどの山道(当時の社長が鍬で作ったらしい)を下りて行くと視界には秋の陽があたり色鮮やかな高尾山の山肌が広がる光景…すげぇ気持ちいぃ!ハイキング気分(笑)。スギ3.5mの枝打ちは初日ノコギリのみ、翌日から2mハシゴで鉈も使った。山に響く鉈の音…気持ちいい。(最初、鉈の刃の入れ具合が難しかったぁ)お昼は焚き火をして暖をとる。じいちゃん達は焚き火も達人ときた。ボタンやスイッチ1つで火が付くのが当り前の僕からすると普通に、当り前のように、火を起こすじいちゃん達はスゴイ。

 

辛かったのは12月冷たい雨の日、合羽を着てたのに中の服まで濡れて着替えもなく、焚き火しても寒くて震え、水筒の暖かいお茶だけが唯一の救い。(その日以降、絶えず着替えは持つ、最近はドライ素材)あと、慣れてきて枝打機(チェンソータイプ)を使うようになって手首が軽い腱鞘炎(刃が切れないから無理やり押さえて切る…手首に負担がかかる、その時「目立て」が重要だとわかった)、目の中に入った木くずが洗っても取れず、寝てると目の奥が痛くて目が覚める事もあった。(今では木が大きくなり枝打ちの仕事はほとんどないが。)

 

初めての枝打ちはノコギリが手の甲に落ちたり、枝打機の刃が指に触れたり(いずれも傷は残ったけどかすり傷)、ハシゴが外れそうになったり「ヒヤッ」としたことも多々あったけど、数ヶ月前まで大阪でスーツ、ネクタイ、革靴履いて満員電車に揺られていた僕にとっては、山の空気は旨く、ホンマ気持ちよかった!


それから

枝打ちが終わり「冬は休み」って思っていたら、重要文化財の屋根雪下ろし海岸保安林整備の応援とかで忙しく4月から正社員(通年雇用)で採用してもらうことになり…もちろん感謝、しかも安心。

それからはパソコンやカメラを使えるって事で(ごく普通のレベルです。当時、会社にパソコンがなくカメラは銀塩)現場作業をしながら森林整備工事の施工管理(現場監督、写真撮りや書類作成)をするようになり、今は営業、経理、総務もしながら時々、現場で皆の邪魔にならない程度に(笑)作業しています。

 

海外プチ移住…「今は頑張って仕事しなさい!」という神のお告げだと思い…当分おあずけ。

 

 

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